炊き立てご飯と田舎みそ

3歳のおしゃまなマル子と、最近生まれたポン太郎の母であり、医療系の専門職。子育ての話や専門職目線の話などを綴っています。

おとうさん

今週のお題「おとうさん」

 

イムリーなので、今週のお題をします。

 

第2子出産のための里帰り。

以前の記事にも書きましたが、かなり迷いました。

実は1番の理由は父との関係でした。

 

父は「昭和の父親」と「ガキ大将」を足して2で割った感じ。

ものすごく頑固で、「親は絶対」と子どもに向かって教えるタイプ。

子どもの頃はそういう父親を、正しいと思っていたけれど、

娘たちの目の前で当然のように母を「デブ」「頭が悪い」などという人。

これは本気の悪口ではなくて、そういう言葉を悪い言葉だと学習していない。

それを言われたら人が傷つくとか、周囲は聞きたくない言葉だとか、わからない。

そのくせ自分が少しでもバカにされた、下に見られたと感じると怒鳴り出す。

怒鳴って威嚇して、黙らせる。

コミュニケーションではなくて、それは威嚇。

 

小さい頃から、父のことは好きなのにものすごくイラだちました。

どなられても負けずに言い返したのは姉妹でもわたしだけ。

怒鳴る理由を「親の言うことを聞かないから悪い」という屁理屈だと感じました。

なぜなら、わたしが言いたいことを言い終える前に怒鳴られるから。

言葉遣いが悪い、言い回しが悪いと言われたけれど、

それは確かにそうだったのかもしれないけれど、

話を最後まで聞いて結論に対応してくれてから叱ってくれればよかったのに。

今子育てをして、何度も何度も自分の幼少期のトラウマにぶつかります。

 

ひとりめの里帰り出産の時、ものすごく辛かった。

新生児の夜泣きなんて当然だけれど、ナーバスだったわたしに、

「昨日も泣いてたな」などと声をかける父。

それは単純にそれだけの意味かもしれないけれど、神経質な精神の時なので

「うるさかったかもしれない、もっと早く泣き止ませないと」

と、追い詰められました。

 

出産前にも、父は「良かれと思って」仕事のない日は外出をさせてくれました。

本当は外出先で陣痛が来たり破水したらと思うと不安で、

家の近くにいた方がずっとよかったけれど、意見ができない親子関係でした。

「よかれとおもって」いるのをわかっているから、余計に言えない。

好意を反故にすると、その場では怒らなくても機嫌が悪くなるのも知っていました。

 

そんな風に連れ回して、「明日は〇〇」などと予定を聞かされ、

すると「そこで生まれたら」とプレッシャーになる。

結果的には予定日を大きくすぎたけれど、すると今度は「いつ出てくる?」

初産でいっぱいいっぱいの気持ちが、ゴリゴリとすり減っていきました。

 

産む前からのプレッシャー。

産後も気を使う日々と、実家に帰っているのに実質ワンオペ育児。

平日は両親ともに仕事を続け、週末は父が母を連れて外出してしまう。

結局、三食や洗濯などの世話はしてもらえるものの、新生児と密室生活。

 

そればかりが理由でないことはわかっているけれど、

案の定というか、産後うつのような状態になってしまいました。

娘が育つに連れ、まだ赤ちゃんの娘に父のように声を荒げる自分。

その度に父の顔が蘇って、「これが嫌いだった」「つらかった」と直面します。

それなのに、怒鳴る育児を学習してしまったわたしは変えられない。

 

結局、克服するのに2年半近くかかってしまいました。

今でも時々、自分が叱っているのか記憶の親が怒鳴っているのかわかりません。

 

別れて暮らす生活も長くなって、わたしにはわたしの新しい家族ができました。

確信を持って言えることは、わたしはこちらの家族が大切。

大切にするものが明確になったから、もう大丈夫。

今回の里帰りは、父が想像していたスタイルではなかったかもしれないけれど、

結果としては前回よりもずっとずっといい関係にいる気がします。

このまま自分も子ども達を育てながら成長をして、

いつか「全部含めてよかった」と言えるようにしたい。

 

お父さん。

大人になって、絶対だと思っていた親は全然大したことがないことを知りました。

尊敬するところも、信頼するところもあるけれど、

子どもの頃に感じていたほど、完全なものではなくて、この世の全てでもない。

あなたは家族を無意識に支配下に置こうとしていたんだと思う。

それは日本の当時の男性の、多くの姿だったのかもしれないとも思う。

でも、それは絶対間違っている。

大人になった今だから言える。正しくないと思う。

あなたとは違うやり方で、わたしは子どもを大切にしたいと思います。

だからわたしは、自分の子どもたちに親が必ず正しいとは絶対に教えない。

わたしの持っている知識を総動員して、幸せにするためにがんばるけれど、

子どもも基本的には「個性をもった1人の人」として尊重しようとしています。

「指導者と被指導者」「支配者と被支配者」ではなく、「人と人」として、

親子であることは大前提だけれど、「個」として大切にしたい。

色々気になるかもしれないし、面白くないこともあると思う。

けれど、見守ってください。

それでいつか、わだかまりが溶けたら、ちゃんと向き合えると思っています。