炊き立てご飯と田舎みそ

3歳のおしゃまなマル子と、最近生まれたポン太郎の母であり、医療系の専門職。子育ての話や専門職目線の話などを綴っています。

きょうだいができるということ

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わたしには、姉と妹がいます。

つまり、3人姉妹の真ん中ということです。

 

妹が生まれた時、姉は6歳でまもなく小学生になろうという時、

わたしはまもなく2歳というイヤイヤ期絶頂でした。

 

小さなお子さんをお持ちの人ならわかると思いますが、

子どもって同じメンバーの持ち上がりでも、

進級して教室が変わったり担任の先生が変わると、ぐずったりします。

正直、進級してから1ヶ月くらいは親子ともに結構しんどいですよね。

 

そんなわけで、小学校に進学するなんて子どもにはめちゃめちゃ負担です。

超大変な時期の姉と、生まれて間もない妹。

そこにイヤイヤ期で機嫌の悪いわたしがいるのだから、想像を絶します。

 

わたしも今になれば、親も大変だったろうなぁと思いますが、

当時のわたしはそれはもうヒドく手がかかったそうです。

 

それも、今のわたしなら少しわかります。

もっと自分を見て欲しかったんだと思います。

イヤイヤ期って、ちょうどこの間までイヤイヤしていたマル子から察するに、

「わたしを応援して期」でもあると思うんです。

 

いろんなことにどんどん挑戦して、でもうまくできなくて、

見守って欲しいし、悔しさをわかって欲しい。

自分との戦いを毎日毎日繰り返して、できた時には見ていて欲しい。

それで、「がんばったね」って喜んで欲しい。

そういうことを親に求めている時期なのかな、と感じます。

 

さすがに2歳の頃の記憶はないのですが、

わたしの小さい頃のことを聞くと必ず言われることがあります。

「いつもよく泣いて、大変だった」

「イタズラばっかりして、いつも何か企んでいた」

それから、実際に物心ついた時から言われ続けたことがあります。

「キイキイ言わないで、そんなんじゃ話をしたくない(母)」

「うるさい、お前とは話したくない(父)」

 

いつもそうだったわけではない、というのは前提です。

ネグレクトではないし、きちんと愛情をもらって育っています。

 

親がこういう発言をしたことについて、すべて親を責める気はありません。

でも、今自分が子育てをしていて思うのは、自分自身が、

「わたしを応援して期」に満足するまで応援してもらえなかったんだなぁということ。

 

もっと大変な二人がいて、かまえなかったのは仕方がない。

そもそもわたし自身の資質として、「疳の虫が強い」というのもあった。

 

としても、幼かったわたしが

「構って欲しくて」しつこく言ったり、

「話を聞いて欲しくて」大人からするとキイキイと聞こえる声を出したり、

「うまくいかなくて」癇癪を起こしたり

「自分の感情との付き合い方がわからなくて」イライラしたり。

当たり前の子どもの壁と戦っていたのは、間違い無いと思うのです。

 

今、まさしくわたしは小さい時の自分を育てながらマル子を育てています。

マル子を、昔親から言われたような言葉で傷つけた時、

傷ついているマル子に小さかった自分が重なって見えます。

「違うよね、本当はこう言って欲しかったんだよね。

こういう気持ちだったよね。もう大丈夫」

マル子と、小さい時の自分にも言ってあげます。

自分自身が小さい時の自分を愛し直して、感情との付き合い方を教えます。

 

こうやっているうちに、どんどんマル子を大事になって、

以前の自分が嘘のようにマル子といることを楽しく思えます。

 

ただし、マル子にはこういう思いをして欲しく無い。

だからきょうだいが生まれると言っても、

なるべくこれまでの自由奔放で愛嬌たっぷりなマル子でいられるように

愛情を感じていてもらえるように、と言い聞かせています。