炊き立てご飯と田舎みそ

3歳のおしゃまなマル子と、最近生まれたポン太郎の母であり、医療系の専門職。子育ての話や専門職目線の話などを綴っています。

メンタルリープが赤ちゃんを成長させる、母も成長させてくれる

赤ちゃんを愛するために

先の記事でいやいや期のことを書きましたが、それに関連して思うことがあります。

恥ずかしい話ですが、わたし感情のコントロールが非常に苦手です。

仕事の時には、仲間から「ファジーで感情任せなことをしないタイプ」といった見方をしてもらっていますが、逆です。

ものすごく感情的で、頭に血が上ると大きな声を出したりしてしまうタイプです。

それがわかっているから、それと、あくまでも職場だから抑えることができれいるだけなのです。

 

それは子供のころから言われ続けてきたことで、

「すぐにキイキイした声を出す」「わがまま」「身勝手」

と両親から指摘、というか断定されて育ってきました。

物心ついたころから断定さて続けてきたので、自分はそういうダメな人間だと信じていました。

 

ここで断っておきますが、両親はわたしをとても大事に育ててくれたし、今でもわたしも大好きです。

 

さて、マル子をおなかに授かったときに、とてもとても不安だったことがあります。

それは、わたしはマル子を怒鳴ったり、虐待してしまうのではないか、ということ。

そんなニュースの珍しくない毎日ですから、そんな不安を抱く妊婦さんは実は少なくないと思います。

でも、わたしの不安は初妊婦の不安からではなく、事実として自分の持っている欠点を知っているからでした。

自分のペースを乱されることがとても苦手な自分が、こっちのペースなんて知りもしない赤ちゃんを育てられるのか。

何を言っているかわからないのに泣く生き物を、きちんと愛することができるのか。

そして、わがままで短気なこの自分が、子育てなんて本当にできるのか。

 

生まれてみて、やっぱり子供のことを怖いと思いました。

その怖いという気持ちは実は今でも少し残っています。

 

でも本当に本当にかわいいマル子。

寝ている顔は本当に天使で、起きているときは怪獣で恐ろしいのに、やっぱり愛しくて仕方がない。

マル子の泣き声にいら立つ自分を抑えたくて、いろいろ勉強をしました。

自分の感情をコントロールするために、赤ちゃんが発達とともにむずかりやすい時期とプロセスを勉強したりしました。

 

 

その時期が来たら、「今はメンタルリープ、メンタルリープ」と言い聞かせて乗り切りました。

 

子供がかわいいという話がこわい

おかげさまで、今は元気に間もなく2歳を迎えるマル子。

今日も大人が疲れてしまうほどの距離をへっちゃらで歩いてきました。

今では週に3日程度の夫の出張も、不安は疲労と朝寝坊程度で、「がんばってきてねー」と送り出せます。

 

でも去年のわたしは違いました。

マル子と二人の時間になるのが不安で、どうしてもどうしても夫に出張に行ってほしくなかった。

自分を安心させるために、出張先から電話やLINEを毎晩もらいました。

わたしの不安は「自分がマル子に手を挙げるのではないか」ということ。

何度もその不安を訴えて、そのたびに「それだけできていれば十分」「できる人と比べるな」と慰められました。

世の中のお母さんはどうやって乗り越えているのかと、マル子が寝ると育児ブログを読み漁りました。

もちろん支援センターに行って、ほかのお母さんともたくさん話しましたよ。

だって、二人になるのが嫌だから。

 

ほかのお母さんと赤ちゃんの関係を見ていて、得るものはたくさんありました。

かわいいベビー服や、おもちゃなどを交換するイベント、市役所のイベント。

手の抜き方なんかは本当に勉強になって、過ごしやすくなりました。

 

一方、親同士なら当然の、「子供がとにかくかわいい、うちの子はいい子」という話は苦手でした。

「親なら当然わが子がめちゃめちゃかわいいよね」

「この子を連れて二人で電車で○○に行ってきて楽しかった」

などなど。

 

わたしにはできないことで、できない自分がダメな母親に思えて、つらかった。

かわいくていい子だとはもちろん思っているのに、「手放しにかわいくて泣いても平気」とは言えないわたし。

二人で電車に乗るなんてありえない。

娘のお昼寝とご飯が最優先で、そのリズムが崩れるくらいなら引きこもりのほうがまし。

泣きだすのが怖いので、公園か支援センターしか二人では出かけない。

そんなわたしには、キラキラしたママさんたちが脅威でした。

話を聞けば聞くほど自分がダメ親に思えるし、情けなくなる。

「うちの子泣かないから」なんて言われると、「わたしの愛情が足りないせいだ」とつらくなる。

ダメループでした。

 

で。今。

今も二人でどこへでも出かけることはできません。

でも二人で車に乗ることができるようになりました。

泣くのが怖かったけれど、今でも泣くのは怖いけれど、泣かなくちゃならない場面がわかるようになりました。

つまり、「我慢」してもらう必要があるときの「泣く」は仕方がない。

こちらも「今は泣くところ」とこらえる準備ができるようなりました。

大きな声で怒ってしまうことはあるけれど、わたしが悪いときは謝り、仲直りをしています。

反対もしかり、マル子も仲直りを自分で求めてくれます。

不器用なりに、それなりに我が家なりの「いい関係」ではあると思います。

何より娘はわたしをとても慈しんでくれるし、わたしも愛しくて愛しくてたまらないのです。

 

だから、きっと世の中にいるあの頃のわたしのような不安を抱えたお母さん。

時間が解決してくれるとか、きれいごとは言いません。

しんどいものはしんどいし、自分でもコントロールできないこともあります。

そういう自分を否定してくる外野もいるし、ダメ人間だと卑下してしまう自分もいると思います。

そういう否定的な言葉って縛られてしまいやすく、苦しいものです。

でも、一回「それはだれのため??」と心に聞いてみてください。

赤ちゃんと、ほかの家族。

その大切な人たちが苦しいのが一番お母さんも苦しい、これは本当だと思います。

だから気にしなくていい。

外野の声も、自分を否定する自分の声も一回無視していい。

わたしの経験では、その声はたいてい外野の自己顕示欲とか、自分の承認欲求に由来するものです。

だから無視してもほとんど影響なかったです。

それより子供が「ママ」と呼んでくれたら、「好き」と言ってくれたら、つらかった「わたし」も少し報われますよ。

もうちょっとだけ、がんばれそうなきがしますよ。

わたしはいらない声を無視して、その分の注意力をマル子に向けたら、いっぱい「好き」が聞こえました。

 

まだまだ不安いっぱい、だめだめのわたしですが、マル子と一緒に成長していきたいです。