炊き立てご飯と田舎みそ

3歳のおしゃまなマル子と、最近生まれたポン太郎の母であり、医療系の専門職。子育ての話や専門職目線の話などを綴っています。

いやいや期なるもの、まだもうちょっと待ってくださいな。

魔の2歳児

子育てされている方なら、多くの方が聞いたことがあるのではないでしょうか。

魔の2歳児、悪魔の3歳児、天使の4歳児

なんていう言い方をすることもあるそうです。

 

何を隠そう、私はマル子に泣かれるのがものすごく苦手です。

そもそも、人の泣く声やわめく声がものすごく苦手で、自分でも驚くほど耐性がありません。

お恥ずかしい話ですが、母親歴もうすぐ2年。まだまだダメです。

 

とはいえ、最近のマル子は泣くことがずいぶん減っています。

0歳児のころ支援センターではほかの近い月齢の子たちよりも圧倒的によく泣き、ほかのお母さんにも「よく泣くよね」と言われていたマル子。

今でももちろん泣くけれど、「お菓子がもらえない」とか、「本当は眠たいけど自分でも混乱してわからない」とか、原因がおよそはっきりしています。

おかげさまで、解決にもっていくお手伝いをする親としても対応がしやすくなり、長期戦になにりにくくなりました。

もちろん、食前のお菓子が食べたい!など、こっちが曲げてあげられないことは説明して、だめなら泣いてもらいます。

こちらもつらいけれど、一通り泣いてから抱っこして目を見ながら話をすると結構納得してくれます。

マル子を育てるまで知らなかったけれど、子供って結構しっかりしています。

泣かせておけるようになった分、こちらも少し成長しているのかな。

 

そこで、魔の2歳児。

もちろん2歳できっちり始まるわけもなく、前後なのでしょうが、今のところ上記の通りむしろ以前より穏やかな我が家。

普通程度にいやいやはします。

例えば、「服を着たくない!」「紙パンツを変えたくない!」「車には乗りたくない!」等々。

こういうのが「魔の2歳児」の助走なのかな?と、どきどきしつつリハーサルをしている気分です。

 

「自分でするから手を出さないで」宣言

最近主張するのは、「自分でする!」「一人で行く」という、「自分でやりたい」という訴え。

 

いやー成長したなー

 

なんて、親としては感慨深いけれど、一人で公園に行くからついてこないで!なんて主張には辟易。

完全に「家政婦は見た」状態で、「追跡してませんよ~」というふりをしながら後を追います。もちろんすぐに追いつける範囲で。

一人でボタンを留めたい、靴を履きたい、お箸を使ってみたい、頭を洗いたい・・・

興味の広がりがすさまじくて、たまにうっかり手を出そうものなら「ぎゃぴーーーー!」です。

 

そんなわけで、最近の私は、「自分で!」が出たら、危険のないことならこれ幸い「まかせた!」とさせてしまいます。

その間に自分の身支度などちょっとでも進めてしまうほうが効率がいいので。

「うまくできなかった!」

と助けを求めてきたら、ちょっとだけ手出しをしてみています。

でも、なるべく「自分でできた」と思ってほしいので、最後は自分でするようにします。

例えば、「靴が履けない」なら、靴を抑えて履きこみ口を開いて足を入れやすくしてあげますが、最後に自分でテープを留める、

という具合。

そして、できたね、がんばったねと伝えます。

 

前述したとおり、よくなく赤ちゃんだったマル子。

そして、泣かれるのがめちゃめちゃ苦手な私。

なるべくお互いが楽に生活できるために、どうしたらマル子を泣かせずに済むのかをずっと考えていました。

以前はそれがとてもネガティブなことだと思っていたけれど、最近、そうではないと思うようになりました。

子供に笑っていてほしいのは、親なら普通のことですよね。

 

マル子を泣かせないためにお菓子をあげまくるとか、テレビを見せ続けるとか、それはやっぱり違うと思う。

でも、マル子を泣かせないために登園は夫に任せて、できた時間に夕飯の仕込みをする、なんて、そういうのもありだと思います。

夕飯が多少遅くなっても大回りで消防署の前を通って帰ったり、大人の口紅が気になるのなら赤ちゃんリップクリームを買ってみたり。

それで満足して、お互いに楽しく過ごせるならいいや。

時間もお金もちょっとくらいかけちゃいます。

しつけ?

今のところ、自分や人に危害がなければいいや。危ないことと食事で遊ぶのは叱ります。

 

こんな風に折り合いをつけるようになって、マル子のことが前よりどんどんかわいくなって、前よりずっと仲良しになりました。

仕事の忙しい夫と、それぞれ遠方にある実家。最近の若い親世代の典型例みたいな我が家で、ワーキングマザーの私。

私のやり方一般論では正しくないのかもしれないけれど、理想ばっかりでは生活できないので、「我が家なり」を探すしかない。

そのうちに来るだろう「いやいや」に対応すべく、私自身が親として人として、成長できるようにしたいものです。